2010年03月21日

土佐勤王党

先週の龍馬伝は、出先のため、見えんかったがですが、今週は見ました。土佐勤王党の結成と龍馬が党に加入するところから始まりました。土佐勤王党への加入は、1861年とありますねぇ。

ちなみに、148年前の本日、龍馬が土佐を脱藩したということで、高知市内の和霊神社(神田地区にあります)では、恒例の脱藩祭りが、あったがです。しかも、例年の倍以上の300人の見学者が集まったいうことです(やはり、龍馬伝の影響でせう)。

 さらに、ちなみに、20年前の本日は、龍馬役の福山雅治が初レコードを出した日なんだそうで、つまり、デビュー20周年。らしい、夕方のラジオでいうてました。長崎弁で。


 実は、これ1回書いたのですが、書いて、UPしたと思ったら、seesaa サイトのメンテナンス時間中だったため、すべてが泡と帰したがぁ、です。

 さて、ドラマの中で、1862年、龍馬は長州萩へ、久坂幻瑞に会いに行きました。いろいろと感銘を受けたようです。

 同じく、1862年に弥太郎は喜勢と結婚しています。まさに、わが世の春を謳歌という感じで、いい演技でした。弥太郎役の香川照之。

 ところで、武市半平太は、幾度となく、参政吉田東洋に意見書を送っていますが、ことごとく、スルーされよりました。そこで、こうした仕打ちに次第に、暗殺心が芽生え、ついに1862年4月8日に暗殺実行となるわけですが(次回の放送ですね)、その場所は、高知市内追手前小学校の側であります。いまも石碑が残っています。


 東洋の甥の、後藤象二郎は、こうした人脈もあり、また、東洋死後、参政となっていくわけですが、弥太郎らとの付き合いが今後の人生の発展へとつながっていきます。

 さて、弥太郎ですが、幼い時からの教育環境に恵まれたところがあって、実際、母親の美輪(ドラマでは倍賞美津子)は町医者の娘であったがです。その美輪の実姉の嫁ぎ先が、当時の土佐藩での1,2位を争うほどの学者、岡本寧浦(ねいほ)で、弥太郎が12〜3才のころ、寧浦の家にあずけられたそうで、その際に、寧浦は、弥太郎を養子にほしい、と申し出たという話があります。それは、弥太郎の明晰(将来の)な頭脳を評価した裏返しであるとも、思われるが、です。


ラベル:勤王党
posted by ザッキーニ at 23:56| 高知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 龍馬伝のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。