2010年09月26日

馬関の奇跡

さて、霧島の新婚旅行から帰ってきた龍馬は、幕府の長州征伐の戦いに参加をしたがぁです。今回は、39回目の放送「馬関の奇跡」、第4部の始まりです。


 ドラマでは、多勢の幕府軍15万に対し、少数の長州軍2千人が、高杉晋作率いる騎兵隊の強さのおかげで、まるで桶狭間の戦いの如く、大方の予想を覆しての勝利、となっちょったがです、が、史実は、幕府軍の命に従った諸藩のやる気のなさが、もともとからして、幕府軍の負けを決定づけちょった、ようながです。

 でも、官軍、徳川方は、四方からの攻めを行うこととし、戦を進めていったがですが、いずこも敗走し、特には九州小倉方面からの攻めをポイントにし、幕府老中を指揮官にするなど地元小倉藩やほか九州肥後藩などを配置したがじゃった、と。

 で、ドラマにあったような、龍馬らの海援隊が海上からの援軍と高杉らの小倉上陸による奇襲で、結果、勝利となった、と、簡単にいうと、そうなるがです。(肥後藩らの勝手なる戦線離脱などがあったがです)

 で、さらに、将軍家茂が急死(脚気とかって言いよったですね)し、この知らせを受けて、指揮官の老中は、勝手に大阪へ帰ってしまうがですが、指揮官帰ってしもうたら、示しがつかん、いうて、一気にみな、戦場を放棄してしまった、というのが、ホントのようながです。

 これを機に、長州軍や薩摩藩らは、幕府軍を滅ぼそうと東上を企てようとするがですが・・・、これは次回以降になるがです。

 さて、土佐商会設立で長崎にきた、岩崎弥太郎は、あのお元や大浦慶、グラバーらぁに土佐の特産品を売り込もとするがですけんど、全然売れんがです。かなり、地団駄を踏んだがですけんど、次第に、売るようになっていったがですね。

 ドラマ冒頭で出てきた、弥太郎の回想場面は、品川御殿山の屋敷ですろうか?咳込んだ時に血を吐いたシーンがありましたが、実際の弥太郎、胃がんで亡くなっています。享年52歳。明治18年2月ながですが、この時、すでに巨大企業になっちょった三菱の船会社と渋沢栄一率いる三井を主とする共同運輸会社の熾烈な競争、運賃値下げ競争があって世間の耳目を集めちょったがですと。

 この時には、9月上旬の尖閣諸島近海で起きた漁船衝突みたいに双方の船が相手の航路妨害をするがために正面衝突なども頻発しちょった、というがです。まっこと・・。

 (話が逸れました^^;)
posted by ザッキーニ at 23:50| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 龍馬伝のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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