2010年10月17日

いろは丸事件

きょうは、42回目。まっこと早いです。10月も半分過ぎたがぁです。本日、「いろは丸事件」は海援隊が大洲藩から借り受けた蒸気船で、物資を大阪へ運び出したところ、紀州藩の蒸気船がぶつかってきて、沈没した、という事件、というより、事故・・・


 のことながです。

 いろは丸は伊呂波丸、とのことのようですが、紀州藩の明光丸に衝突された事件、龍馬は明光丸の船長室にあった航海日記を証拠品として奪い、その後に後藤を通じて、土佐藩対紀州藩の交渉にしたこと、桂や西郷にも手紙を送っていたこと、それと英国水師提督にも手紙を送って綿密に濠を埋めていったがです。

 結局、不利をさとった紀州藩は、和解を求め、賠償金を払うことでケリがついたがです。最後の賠償金の受け渡しなどに、実際に動いたのは、弥太郎で、後藤や龍馬、それとこのときに薩摩藩五代友厚もいて、その間で、受けた感化が、のちの三菱創始者への大きな推進力になっていった、という書もあるがです。

 で、賠償金はTVの中で提示された8万3千両の予定だったのが、実際には、弥太郎が値引きをして、7万両に落ち着いた、らしいです。これには、一部、弥太郎の三菱創設の資本金にしたという説もあったりするようですが、大洲市の資料などによると、ちゃんと、関係者に支払って、済ん出いるということ、らしいがです。

 しかし、ホントに、激動のひとやったがですね。


 そんでもって、ニゴシエーター、それも、タフ・ニゴシエーターながですね。
ラベル:いろは丸
posted by ザッキーニ at 23:51| 高知 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 龍馬伝のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
龍馬の船ってけっこう沈没してるんですよね所用でテレビ観れませんでした
龍馬がゆくによると、
この事件は、日本初の航海裁判だそうですね
日本初の新婚旅行とか、先駆けてますね
Posted by 山口ジジイ at 2010年10月19日 04:47
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。