2010年10月24日

船中八策

はやいもんで、10月の最後の放送じゃったがです。その43回目。「船中八策
大政奉還を主張する龍馬は、後藤象二郎とともに、京都に滞在する容堂公のもとに参じていったがですが、タッチの差で、容堂公は土佐へ帰ったがです。

 で、象二郎と龍馬は、薩摩の西郷と大久保利通、小松らと対談し、薩摩からの大政奉還への「同意」を得ることになったがです。
 でも、薩摩も、その大政奉還が成さぬなら、武力倒幕に参加しもはんぞ?の投げかけに、「了解」を回答せざるを得んかったがです。(薩土盟約:京都三本木の料亭 吉田屋にて

 一方で、龍馬は、大政奉還後の国のあるべき姿を「船中八策」にまとめ、周囲の驚嘆と賛同を得ていく(ような描き方)ようになっていったが、です。

 さて、前回、いろは丸撃沈事件にて、紀州藩から8万両を賠償させることに成功したがでうsが、今回のドラマ中、18万両の借金があるという場面があったがです。これは、史実的には、後藤象二郎の放漫経営、丸山花街への入りびたりに要したもろもろの経費の積み重ねである、ようながです。

 どうも、象二郎という男、経理ができなかった、土佐の大風呂敷の系の人物じゃったようです。若くして、土佐の参政、になった。明治維新後、明治30年まで生き、伊藤博文内閣では大臣も務めるなど、大出世ながですね。演ずる青木崇高のもみあげが、まっことえいぜよ!という感じですなぁ。




posted by ザッキーニ at 23:55| 高知 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | 龍馬伝のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
後藤の大風呂敷は、有名だったそうですね
大物だけど、金遣いがあらく、
維新後、岩崎にタカリまくったのは、有名なエピソード
私も、今回の観ましたが、
やっぱり、イメージと違いすぎます
龍馬も、後藤も、もっと男っぽく描くべきだと思うのですが、もりまちさんはどう思いますか?
話の腰を折るようで、誠にすみません

ところで、訓練校にどのように関わっておられるのでしょう?
教えてください
また、私のブログは、半年間内緒でお願いしますw
Posted by 山口ジジイ at 2010年10月26日 01:26
大風呂敷ゆえ、出世したのかもしれませんね。

内緒の件、了解です!
Posted by morimachi at 2010年10月28日 00:13
ありがとうございます
やっぱ、ああいう機関なので、
ブログ閉鎖なんてことになると困りますので
感謝です

大風呂敷の件、後藤は大物ですなあ
Posted by 山口ジジイ at 2010年10月28日 01:03
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